個人塾経営の日々ーコツコツとのんびりとー

小さな個人塾を経営しています。ゆっくりのんびりと生徒とむきあいたいです。

無職で学習塾を設立した話。ーその10ー お母さんの口コミは、ラクスルに勝る。

とうとう念願の塾生を2人むかえることができたわたし33歳自営業!は、うれしさ半分、これからどうやって生徒さんを獲得していくのか不安だった。

 来てくれた生徒さんの流入ルートを知ることが重要だろうと、2人のお母さんにどうやって、この塾を知ったのか、と聞いてみた。

「折込チラシ」と答えてくれることを期待している自分がいたが、N塚くんはインターネット検索から、そして、M本くんは、通っている公文の先生から紹介されたという。

 「なんで、公文の先生が紹介してくれたんですか?」と驚きつつ聞いてみると、通っている先生が折込チラシをみて、部活で公文に通いづらくなっているM本くんでも、ここなら通えるだろうと、紹介してくれたそうだ。

 2人は、折込チラシで来てくれたわけではなかった。二家族とも、朝日新聞だそうで、わたしの地域新聞のみの作戦は、公文の先生にしかヒットしなかったのだった。

 うーん。中学校や小学校の校門で、チラシを配布するか、自転車に乗って一軒一軒チラシを配るか、など次の集客作戦を練らなければ。

 ふたりの入塾が決まって、数日また電話が鳴った。入塾希望の女の子だった。「M本くんのお母さんに紹介されて、、、」とのこと、しかも、すぐ近くの中学校で一位の成績である。このあと、M本くんのお母さんの紹介で、もうひとり男の子が入塾した。

 現在も、M本くんのお母さんの紹介で、入塾を考えてくださっている方々が5名ほどいる。M本くんのお母さん、おそるべし!

 公文の先生経由でやってきたM本くんのお母さんが、塾生を連れて来てくれた。みな、「バツグンの先生がいる」という触れ込みで来てくれたのだ。考えてみれば、お母さんの前で無料授業して、30分ほどわたしの授業を見てくれたのが良かったのだろうとおもう。

 ラクスルに2万円払うより、M本くんのお母さんに払いたい。そんな気持ちになったけど、10,000部のチラシを配って、一件の問い合わせがあるかないか、と言われる塾業界で、4,000部の広告費用だけで、4名の入塾が立て続けにきまったのだ。 幸先が良い!と思っていたわたしだが、見事にスランプにおちいるのだった。この時、2018年10月末のことであった。

 

つづく

無職で学習塾を設立した話。ーその9ー 初の塾生誕生

無料体験授業に2人の中学生がやってきたことで、武者震いがとまらないわたし33歳無職は、渾身の授業をするべく、教室の掃除に勤しんでいたのであった。

 2018年9月16日、はじめて中学生がわたしの塾にやってきた。最初にやってきたのは、受験をひかえた中学3年生のN塚くん、そして、次の授業では、準2級を受験する中学1年生のM本くんだった。

 わたしの授業は、まず、用意したプリントの問題を解いてもらった。そして、彼らの弱点となる文法や単語について説明するというものだった。

 わたしの授業で、わたしはノートや教科書をみることはほとんどない。一気に、中学校3年生分の英文法をホワイトボード一面のみで、説明する。おそらく、他の先生がやらない手法だとおもう。しかし、わたしはこの方法にとても自信がある。文法項目をすっきり整理できるからだ。

 それぞれ80分の授業がおわったとき、彼らがポカーンとしていた。多分、学校の先生とだいぶ違ったからだとおもう。「やりすぎたな」と思った。ふたりは、手を振って帰っていった。

 次の日の朝に電話がきた。N塚くんのお母さんからだった。「息子がぜひ入塾したいといっている」とのこと。そして、続けざまにM本くんのお母さんからも電話、入塾したいと伝えられた。

 無料体験授業イベントの効果は絶大だった。2名の生徒が来て、2名が入塾した。宣伝費20,000円で、2名はとてもうれしかった。無料体験授業をした週には、初めての塾生が誕生したのだ。

 うれしさとともに、責任を感じる。そうだ。わたしはもう、無職ではないのだ。お金をもらい、彼らの英語力を爆発的に向上させてみせよう。

 塾長として張り切るわたしはまだ、、M本くんのお母さんという恐ろしいほどのチカラに気づいていなかったのだった。

 

 つづく

無職で学習塾を設立した話。-その8- 初イベント初授業

折込チラシを出しても反応なし、どうすれば良いのか悩みまくるわたし33歳無職は、妻の助言から、無料体験授業イベントをすることを決意した。予算が底をつきながらも、2000部追加して、チラシを配布した。

 9月8日、第二弾となる折込チラシを2000部配布した。内容は、9月16日に無料体験授業イベントをするよ!というもの。その1日はとても長く感じた。電話ににらめっこするものの、反応はない。

 もうだめかなぁ、と思ったものの、ホームページのアクセス数がすこーしだけ伸びた。googleアナリティクスによれば、コース・料金のページを読んでくれているようだった。興味を持ってくれる人がいる。それだけでも、嬉しかった。

 ちょくちょくと、アクセスが伸びてはいるものの、その後1週間、誰からも連絡が来なかった。イベント前日の朝、もうダメかと思ったわたしのスマホがなった。メールでの参加依頼だった。

 中学1年生のお母さんからのメールで、息子が今度英検準2級を受ける予定だから、試験対策をしてほしい、という内容だった。中学1年生で、英検準2級という非常にレベルの高い生徒さんが、無料体験授業に来てくれる。期待と裏腹に、自分の力が試されるようで、少し頬がこわばった。

  その後、夜にもう1人から申し込みがあった。中学三年生で、受験を控えているが、英語だけが苦手、ということだった。

  英語が得意な生徒と、苦手な生徒のふたりのために、それぞれ授業をすることになった。

  授業に自信はある。あとは、生徒さんに入塾してもらうだけだ、と意気込み、早めの睡眠をとった。

 

 つづく

無職で学習塾を設立した話。-その7-鳴らない電話、そしてイベント開催へ

生まれて初めてのチラシのデザインで四苦八苦するわたし33歳無職は、なんどもチラシ訂正しやっとこさ新聞折込に成功、しかし、、、

 8月23日に、折込チラシを2000部配布した。予算の都合で、大手新聞社の朝日新聞や読売新聞を使うことができず、地方新聞を中心として配布することになった。

 生まれて初めての折込チラシ、電話がくればいいなぁと真新しい塾の中で待つ。待つ。待つ。しかし、いっこうに電話がなることはなかった。

 あせった。このまま、誰にも知られることなく、塾をたたむことになるのかなぁ、と机の上においたパソコンをにらめっこしながら考えていた。

 それから、1週間待ち続けるも、全く問い合わせはなく、不安な日々が続いた。家には、身重の妻がいるし、弱音を吐くことはできない。ここで何かしなければ、と悩み続けるわたしの様子を見た妻が、ふと「イベントをしよう!」といったのだ。

 無料授業イベント、普通の無料体験授業と何が違うってわたしが、妻に等と、「日程日時を設定することで、興味を持った人が行ってみようかな、この日しかないのかな、なんて思ってもらうという戦略で。それに、一度に多くの生徒さんと触れ合うことができるんじゃない。」とのことだった。

 もう後がない、お金もない、わたしにとって、考えている時間はない。ということで、すぐさま折込チラシを作成し、またまた予算の都合で、2000部という少ない部数ではあるが、配布に踏み切ったのだった。

 無料体験イベントは、9月16日に決めた。折込チラシの配布は、その1週間前の9月8日に決定した。

 9月8日、わたしは不安な朝を京都で迎えていた。このチラシの配布により、学習塾運営は大きく動き始めた。

 

つづく

無職で学習塾を設立した話。ーその6ー 折込チラシを配った話。

カネなしコネなし、でも時間はいっぱいあるよ!、と、毎日勢いまかせで日々をすごす、わたし33歳無職は、学習塾の内装を完成させ、料金設定を決め、宣伝活動へと、歩みを進めるのであった。

2018年8月10日、学習塾の内装がとうとう完成した。いま塾にあるものの99%はわたしのマンパワーで運び込んだもので、自分の汗の結晶のようで嬉しかった。

料金設定も決まったし、これで、チラシをまくぞ!と意気込んでみたものの、どうやってチラシをデザインするのか、そして、どんな方法でチラシをまくのか、まったく未知の領域だった。

小中高と学習塾におせわになったことがない、わたしにとって、塾の業界特有の言葉も、よくわからない。完全個別といっても、講師1人に生徒3人だったり、塾業界の言葉遣いはむちゃくちゃだ。でも、それが使われているにはわけがあると、チラシを集め、塾業界の用語集をノートに作っていった。

ジュクギョウカイ言語という外国語を理解したら、チラシのデザインだ!といっても、専門家に依頼したら、何万円もかかるだろう。この時、予算は10 万円程度しか残っていなかった。

自分でデザインするしかない。ここでお世話になったのは、pixtaという写真やイラストを販売しているサイトである。このサイトで、写真やイラストを購入し、チラシのテンプレートをダウンロードした。

チラシのテンプレートは、三つ以上をダウンロードし、各箇所を組み合わせ、すこしでもオリジナルな雰囲気を作り出すようにがんばった。妻や、家族にも確認してもらい、少しずつ手直ししていった。

写真代、イラスト代で、4,000円ほどかかったが、あえて有料の写真やイラストを使ったのは、フリー素材を使うと人目をひかず、信用されないのではないかと思ったからだ。

広告がある程度、できあがったとき、ポスティングにするのか、折込チラシにするのか、どちらを選ぶか、決めなくてはならなくなった。ポスティングにするには、お金があまりにもかかる。学習塾の2km圏内で、5万円くらいかかる。これでは、もう無理です。

消去法で、折り込みチラシ、しかも朝日新聞と読売新聞を大手を抜かした2,000部で18,000円なり。かなり、やすい、しかし、大手新聞社を抜かしていいものか、悩んだ。だけれども、朝日を入れれば、5万円以上になってしまう。これは、賭けよう、と思った。

折込チラシを依頼するASKULに確認したら、IP電話ではチラシ配布ができないそうで、いそいで固定電話を開通、ますます学習塾ぽくなっていくなぁ、と感慨にふける。

2018年8月23日、とうとう折込チラシ配布の日。わたしは、前日に切った髪をなでつけ、電話の前でひたすら待った。しかし、電話は鳴らなかった。

焦った。

ーつづくー

無職で学習塾を設立した話。ーその5ー 料金設定

足りない資金を己の体力でカバーするわたし33歳無職は、熱中症になりながら、とうとう学習塾の内装を完成させた。これからは、広告、宣伝をして生徒さんを呼び込まなければ、と意気込むも、勢いまかせでここまで来てしまって、大切な料金プランをたいして練っていなかったのだ。

そこで、わたしは塾の料金プランを考えることにした。わたしの塾は、英語専門の学習塾である。中学生で準2級か2級、そして高校2年生で準1級取得を目指してほしい、そのための塾だ。英検の級別でコースを開くのは、当然だけれども、それをどう配分しようか、入会金はどうしようか、教材費は、、、と頭を悩ませた。

しかし、この塾は、2020年度からはじまる新大学受験の経済的、地理的な格差・不平等を解消することを目的としている。だから、できるだけ格安で、品質の良い授業を提供したい。

ここで、入会金を無料にすることを決めた。入会金を無料にすることで、英検を受験する都度、入塾と退塾をしたいという生徒もいるだろうと考えた。正直、通い続けてほしいけど、やめやすい塾を作ろうと思った。

また、教材費については、3000円にすることにした。塾用教材も取り寄せてみてみたが、高いだけで薄い、高速で英検4級から2級まで中学生が学習できるようなものは見当たらなかった。そこで、市販の問題集と、自分で自作することにした。問題集が定価1,500円なので、残りの1,500円で、500円のファイル、そしてコピー代である。しかも、英検4級のコースで入塾した子が、3級に行っても、2級に行っても、もう二度と教材費はとらない。強烈な安さを実現させよう。

そして、最後に、コースの受講料金である。わたしの塾は少人数制生徒数6名を上限としている。質の高い塾でありたいという考えからだ。当初、月4回、各80分で8000円を考えたが、これでは、黒字になるまで、ものすごい時間がかかることがわかった。結局、妻、家族と話し合い、月謝10,000円をいただくことにした。英検4級から、準1級まで全てのコースで同額10,000円。生徒さんや親御さんが、早く上の級にあがりたいと考えられるように、経済的なバリアをなくしたかった。

かくして、やめやすい、たいして儲からない、ほぼ自作教材で勉強する英語専門学習塾の料金体系ができあがった。

これで、宣伝にうつるぞ!と意気込むわたしに、生まれて初めてのチラシデザインという新たな困難が降りかかるのだった。

ーつづくー

無職で学習塾を設立した話。ーその4ー 灼熱の編

「無職だからなんでもできる!」と、無尽蔵の時間を使い、せっせと学習塾の内装にとりかかった33歳無職のわたしは、妊娠中の妻の助言により、IKEAというオシャンな家具を、塾用の什器にするというアイデアを得て、なんとか予算50万円での開業を目指していた。

2018年7月末から、テナントを借りたものの、最初の1週間は、電気が使えなかった。この夏の暑さをわたしは、一生忘れないと思う。

小中高大と剣道を続け、公安職で働いていたわたしは、暑さには強いという自負があった。しかし、2018年夏の暑さは、わたしの限界を超えていた。

家から片道70kmあるIKEAまで、軽自動車で通い、少しずつ学習塾に運んだ。現在、塾にある99%のものは、わたしが実際に運びいれたものだ。

テナントは2階のため、運ぶだけでも大変だったのだが、なによりも木造二階であったため、すこぶる暑い。熱がこもっていたのだ。

したたる汗をおさえながら、家具を組み立てる。IKEAの家具は、ユーザーフレンドリーではない。組み立てにくい。しかも、ふたりで組み立て推奨のものでも、わたし以外いないので、ひとりで組み立てるしかなかった。

IKEAはオシャレだけれど、組み立てにくい。それに比べ、ニトリはとても組み立てやすい。なるほど、ニトリがここまで広まった理由がわかるようだっった。

作業を2時間続けると頭がぼーっとする。保冷剤を何個も持って行ったが、すぐに溶けてしまい。ぬるいアクエリアスを飲み続けた。持参した3枚のタオルはすぐにびっしょりと濡れてしまった。

テナントの外階段は、数年間使われていなかったそうで、苔が生え、虫の死骸だらけだった。はやく掃除しなければ、生徒や保護者を迎え入れない。そんなことを考えながら、モップを手に、ひたすらに磨き上げた。

この数日間で、頭痛がとれなくなり、頭の違和感がとれるのに1週間以上かかってしまった。たぶん、熱中症になってしまっていた。それでも、内装がおわったとき、本当に晴れやかな気持ちになったのだ。作り上げた自分の城、来てくれる生徒がいるのだろうかと、不安になりながら、ぞうきんをかけながら、わたしは少しずつ自分が、塾を経営するという実感を噛み締めていた。

内装を完成させた。とうとう、生徒を呼び込むことができる。しかし、家からも遠い場所にひらいた塾、地縁もなければ、もちろん知り合いもいない。折込チラシにするか、ポスティングにするか、いや、もうお金がない。じゃあ、窓看板をどうするなど、広告宣伝という問題にぶつかるのだった。